※画像は撮影用に塗装された物です。実際の製品は未塗装になります。
※本製品に走行用シャシー、タイヤ、ホイール、ナンバープレート、電飾ライトユニットは付属しません。
| 【商品紹介】 ABCホビー 1/10電動RCカー用 01スーパーボディミニ : ダットサン 510ブルーバード BREエディション 68号車です。 1970年、SCCAプロダクションCクラスのシーズン後半にBRE240Z No.46が投入された。 240Zの弱点とされた高速走行時のエンジンの異常振動をクランクシャフトを変更することにより解決し、ジョン・モートンのドラ イビングテクニックも相まって圧倒的な速さを見せ付けた。 バックストレートでは335馬力のデイトナクーペに匹敵する130マイルの最高速度を記録した。 余裕が出てきたBREはセカンドカーとなる240Z No.3を仕立て上げ、ジョン・マコーブを送り込んだ。 トライアンフTR6やポルシェ914/6は次第に勢力を失って行き、240Z同士が優勝争いを行う レースも出てきた。 そして勿論ジョン・モートンが操ったNo.46 BRE 240Zは1970年のチャンピオンに。ロードアトランタで行われたARRCでは、ボブ・シャープの240Z、エリオット・フォブス・ロビンソンの 914/6を見事破り、文句なしの全米チャンピオンに輝いた。 また、翌年の1971年やっとバックオーダーの順番が来てやっと他のレーシングチームにも 240Zが続々届き、次々にBRE 240Zに戦いを挑むものが出てきた。 しかしBREの強さは変わることなく、ジョン・モートンのNo.46 BRE 240ZはSCCAプロダクションCクラス、ARRCにて2年連続でチャンピオンの座に輝いた。 それだけBRE 240Zの力は圧倒的であった。 次にUSA日産の社長である片山豊は、510ブルーバードでのレースを要求した。 ターゲットとなったのは、元々速く走ることを目的として作られたスポーツカーレース、SCCA TransAm2.5であった。 SCCAのプロダクションクラスにはセダンのカテゴリもあったが、観客には物足りないのもあった為、より広範囲な改造が許 されるTransAmがターゲットになった。 徹底的なボディの軽量化を行い、BRE 240Zに搭載されていたL24エンジンのサイズを2/3に縮小し、TransAM510用に改良したL16エンジンを搭載。 L16エンジンは165馬力 を発生した。そうして1971年、第2戦ニューハンプシャーでBRE 510がデビューした。 このレースではトラブルによって敗退してしまったが、第3戦のミッドオハイオではジョン・モートン操るBRE 510が見事初優勝を飾り、続くエドモントンでも勝利した。 ホルスト・クウィッチのアルファロメオとジョン・モートンのBRE 510による熾烈なタイトル争いが展開され、勝負は最終戦ラグナセカまで持ち越された。 しかし最終的には見事勝利し、DATSUNにとって史上初のマニ ファクチュラーチャンピオンが決定し、ドライバーのジョン・モートンもドライバーズチャンピオンに輝いた。 翌年の1972年にはL18エンジンが搭載され、11レース中9レースも優勝を獲得した。 何とその内6回がジョン・モートンによるもので、残りの3つがゲストドライバーのピーター・グレッグ、ボブ・ シャープによるものであった。見事にDATSUNとジョン・モートンは2年連続でダブルタイトルに輝いた。 短い期間ながらも輝かしい時代を築き上げたBREレースカー。活動が終了したその後は・・・ BRE 240Z 46号車はBREの手を離れた後、残念ながらクラッシュしてしまい廃車となり、現存していないとのこと。 しかしセカンドカーであるBRE 240Z 3号車はレース好きの親子がピート・ブロック氏本人から譲り受け、同氏の全面的なバックアップにより完全にレストアされ今もなおアメリカに存在し、その栄光の歴史を残し続けている。 BRE 510レースカーは全部で5台作られたが、現存するのは3台のみである。 ジョン・モートンがタイトルを総なめにした46号車は、現在日産の博物館に保存されており、ゲストカーであった35号車は、1972年のシーズンが終了した後にボビー・アリソンのレースカーである85号車にコンバートされ、レース終了 後は愛好家の手に渡りレストアされた。 この2台は2001年8月19日、第28回ロックレス・モントレー・ヒストリック・オートモービル・レースで再び相見えることとなったり、また2010年4月29日〜5月2日にかけてロードアトランタで行われた「BREトリビュート」にも登場した。 |
※仕様及び外観は改良のため予告なく変更される場合がありますので、最新情報はメーカーページ等にてご確認ください。